pustota68’s blog

読んだ本のまとめなど

セヴェリャーニンの詩②

Случай


Судьбою нашей правит Случай,
И у него такая стать,
Что вдруг пролившеюся тучей
Он может насмерть захлестать.

 

Но он же может дать такое
Блаженство каждому из нас,
Что пожалеешь всей душою
О жизни, данной только раз!

 

拙訳

我々の運命を統べるのは偶然だ、

そしてそこでは

突然溢れる黒雲により

それは死ぬ程に降りしきることになる

 

しかしそれは我々全てに

至福を与えられるのだ、

それは、魂のすべてをもって哀れむような至福、

一度きり、与えられた人生について!

 

セヴェリャーニンの詩

Миньонет


О, мечта бархатисто-фиолевая,
Ты, фиалка моя,
Расцветаешь, меня окороливая,
Аромат свой лия…
Нежно теплится в сердце эолевая
Синих вздохов струя,
О, мечта бархатисто-фиолевая,
Ты, фиалка моя!

 

拙訳

ああ、ビロードの如き菫色の夢、

お前は、私の菫だ、

咲いている、私ごと支配し、

自らの芳香を放ちながら…

優しく燃えている、

アイオロスの青い溜息の細流の中心で、

ああ、ビロードの如き菫色の夢、

お前は、私の菫なのだ!

 

 

ブローク Я жалобной рукой…

初めまして。罌粟(けし)と申します。自分のロシア語の能力向上の意味も込めて、これからロシアの詩を定期的に訳していこうと思います。


第一弾は、アレクサンドル・ブロークの詩を。というのも、授業に出てきたからというのが一番ですが、これからもロシア象徴主義ないし銀の時代の詩を多く取り扱う予定です。ロシア語能力も詩の読解力も自信がないので、間違い等指摘してくださるとうれしいです。


【原文】


Я жалобной рукой сжимаю свой костыль.
Мой друг — влюблен в луну — живет ее обманом.
Вот — третий на пути. О, милый друг мой, ты ль
В измятом картузе над взором оловянным?


И — трое мы бредем. Лежит пластами пыль.
Всё пусто — здесь и там — под зноем неустанным.
Заборы — как гроба. В канавах преет гниль.
Всё, всё погребено в безлюдьи окаянном.
 
Стучим. Печаль в домах. Покойники в гробах.
Мы робко шепчем в дверь: «Не умер — спит ваш близкий…»
Но старая, в чепце, наморщив лоб свой низкий,
Кричит: «Ступайте прочь! Не оскорбляйте прах!»
 
И дальше мы бредем. И видим в щели зданий
Старинную игру вечерних содроганий.
 
【訳】
 
俺は幽鬱なるその手にステツキを握る。
月に恋慕す我が友はー月の欺瞞として在る。
三人目が現る。あな愛しき我が友よ、
汝は錫の眼差しに皺めく帽子を被るのか。
 
そして我等は妄誕を垂れ。粉塵は横臥す。
凡ゆるものは空虚なりー此処も彼方もー倦まぬ猛暑のその下に。
塀は棺。溝渠に爛壊が満ちてゐる。
全て、全てが呪詛の静寂に葬られ。
 
ドアーを叩く。家に悲哀。棺に骸。
怯懦の声にてドアーにささめく。「死など莫しー貴女の人は眠るのみ。」
爾して帽子の老嫗、狭額を皺め、
叫ぶ、「往ね」と。「斃るる者を辱めるな」と。
 
そして我等は妄誕を垂れ。建物の裂目に見る。
暮れの顫いの、古の遊戯を。
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象徴主義の詩なので、日本の象徴派の雰囲気が出せたらと思い、それっぽく訳しました。ゼミの先生からは日夏耿之介のよう、とお言葉をいただきました。
 
大学の授業で、現代作家のペレ―ヴィンの講読をしているのですが、彼のある作品の冒頭にこの詩の一部がエピグラフとして引用されています。
 
この詩は「街」という連作のうちの一つであり、1904年7月に書かれたものです。第一次革命の発端である「血の日曜日事件」の半年前のペテルブルグを描いたもので、死の雰囲気がムンムンとしていますね。
 
この詩は弱強のヤンプと呼ばれる形式です。破格や破調も全く見られず、非常に整った押韻をしています。読んでみても音楽的な美しさを感じられます。
 
月や裂目といったシンボルは、別の世界(彼岸)を暗示しているものでしょう。象徴主義たるゆえんでもありますが、この詩における彼岸は死のイメージとつながっています。ただ一つ気になるのは「眠るのみ」と表現されているところですね。死というものを永遠の眠りといった解釈を「俺」がすることで、読者の脳内にはプラトン的イメージが展開する仕組みになっているのかもしれません。
 
また授業で中村先生(ゼミの先生で、ペレ―ヴィンのこの作品も訳されています)からご指摘があったのは、3行目の‘‘Вот — третий на пути.‘‘という部分がイエス・キリストのイメージを連想するということです。聖書的な視点を見れば「眠るのみ」も復活を前提として言っていたり・・・? など妄想が捗ります。
 
 
この詩を書いたときまだブロークは20代も半ばで、非常に若くから活躍していたみたいです。革命後、非常に苦しい境遇で亡くなっていったブロークですが。彼はロシアの象徴主義それ自体を象徴する詩人だったのかもしれません。ちなみに、ロシア文学者の奈倉有里さんがブロークについての著作をもうすぐ出されるようで、それも非常に楽しみです。
 
次回は卒論の進捗と相談して決めますが、ブロークの盟友だったベールイなんかを取り上げてみたいなと思っています。